お遍路はなぜ四国なのか、起源や効果目的などは?

お遍路というと、現在では四国が知名度ダントツですが、実は日本各地に存在しています。

あまり知られていないだけなのですが、昔は全国各地にそのように巡礼とされる風習がありました。

実際に私の住んでいる地元にも、札所と山門に書いてあるお寺もあり、あれ?こんなところにもと思ったことがあります。

廃れたという言い方は、間違いだと思いますが、あまりにも四国でのお遍路が有名になりすぎたゆえの状況なのだろうと推測します。

なぜ四国と言えば、お遍路と言われるほど有名になったのか解説していきます。

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四国お遍路の起源とは

お遍路の起源は約1000年以上前にあるとされます。

かの有名な弘法大師様が、日本全国で起こった災難を鎮めるために四国巡礼をしたのが始まりとされています。

いろんな逸話が日本全国に残している大師様ですが、弘法の○○と呼ばれるところには、何かしらの痕跡を残している場所でしょう。

そんな大師様が、四国各地を巡り、修行の旅をしたことから、巡礼の後を追うことでご利益が得られると信じられていたそうです。

そんな約1000年以上も前から存在している、四国お遍路ですが、今のように道路は舗装されておらず、命の危険と隣り合わせになっていました。

その名残として、死装束である白衣、墓標の代わりである金剛杖があるわけですが、現在でもお遍路さんの正装として使われています。

目的も現在では、自分の願いを叶えるための功徳の一種として行われていますが、修行という目的ならここまで広がることは無かったと思います。

お寺が88箇所に設定されたのも、江戸時代に入ってからと言われますし、その時代によって少しずつアレンジされたのかもしれません。

お遍路をする目的と効果

お遍路を実際に自転車や歩きで行った方は、分かると思いますが、正直キツイです。

車などで回れば肉体的には楽ですが、何日も同じような行動で飽きることにもなり、精神的に嫌気が差してきます。

逆に歩きなど自分の体力で行う場合には、何度も山を登ったりするうちに疲労困憊になり、何度も辞めたくなります。

最初のうちは、あまりのキツさに、目的が分からなくなったりして続けることが難しくなる場合もあります。

私も、最初の区切り打ちで、徳島県の1番から23番まで回りましたが、あまりのキツさに逃げるように帰ってきたものです。

いまだにあの時の辛さは忘れられませんが、何も考えず観光の延長だと考えたら、その後は続けていなかったでしょう。

人生と同じで、目的が無いと堕落することと同じだな、と感じるようになるのもお遍路の効果と言えるものです。

私もお遍路で88箇所回った後に、性格が変わったのか運気が変わったのか分かりませんが、良い方向に向くようになりました。

数日間の区切り打ちでもいいので、一度経験してみると良いかもしれません。

それに、お遍路で通る道は山に登ってキツイと感じたり、平地続きで楽でいいな、と感じたりすることがありますが、このルートには意味があります。

山あり谷あり、イコール苦あれば楽ありと、まるで人生のような感じになっています。

順風満帆な人生を送ってきたのならあまり感じないかも知れませんが、人生が嫌になった経験をお持ちなら、自分の人生に似ていると感じることが出来るでしょう。

このことに気付けるのが、お遍路の最大の目的なのかも。

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