お遍路で回るお寺の数は88箇所となっています。
お遍路は、弘法大師様が全国に広まった災難を取り除くために、四国を回りその時に祈祷をしながら回ったのが起源といわれています。
由来としては、いろいろありますが、どれも信憑性があると考えられています。
いろんな逸話が残る、四国お遍路ですがこれらの由来を詳しく解説していきましょう。
人間の煩悩の数
この説が一番信憑性が高いのですが、人間には煩悩と呼ばれる、私利私欲が存在します。
仏様の世界では、煩悩は邪念とされ、消し去ることが重要とされます。
この煩悩の数は88あるとされ、お遍路めぐりで回るお寺の数の相当すると言われています。
しかし、ふと考えるのが、年末年越しに突かれる除夜の鐘は108回で、煩悩の数と聞いたことがあるでしょう。
実は、四国お遍路で回るお寺の数としては、88箇所ですが、名所や弘法大師様にゆかりのある別格札所の20箇所を合わせると108箇所となります。
このようにお寺の数は88であっても、ゆかりの地を合わせる事で108になるという、ちょっと裏メニューのようにもなっています。
他に考えられる由来としては
厄年の年齢
煩悩の数というお話をしましたが、人間には厄年と言われる年齢があります。
このうち本厄とされるのは、男性は42歳、女性は33歳、子供は13歳というのを合わせると88になるという説もあります。
ただ、厄年とされるのは主に神社での場合であり、厄年をお寺に当てはめるのは少々無理があるかな、と言う感じがします。
数字のゴロあわせとしてはいいのですが、由来と言うにはちょっと怪しいかもしれません。
その他
米の漢字から来ている八十八に由来すると言う説もあり、昔から日本人の主食とされてきた米で生命を繋ぐと言う点では、納得も出来ます。
都市伝説のように言われている由来もありますが、無理やりこじつけた感じがあり、信憑性はあまり感じられません。
88箇所に設定された実際の由来
いろんな文献には、煩悩の数と考えるのが有力とされています。
四国お遍路は弘法大師様が、巡礼をした軌跡を追って設定されたということは、何となく理解できますが、実は88箇所ではなかったと言う説も根強く残っています。
確かに、もう1000年以上も前の話ですので、本当のところはよく分かっておらず、実際にどのルートを通ったのかも分からないのが実情でしょう。
因みに88箇所という記述が残っているのが、江戸時代の頃で日記として書かれていた書物にあったそうです。
なんとなく実際の由来が見えてきますが、江戸時代は平安の時代と言うことで戦争は殆どありませんでした。
世の中では旅行などが流行っており、全国各地を徒歩で行脚するようになります。
四国の巡礼の日記が出ると、我も私もと流行に乗る人が出てくるようになり、こぞって四国を旅するようになった、とも考えられます。
回るお寺の数も適当では困るということで、もっとも理屈に繋げやすい、煩悩という言葉を使ったのかもしれません。
今でもここにお参りするとご利益があるなどと、テレビなどで紹介されると一気にブームになりますが、その現象と似ているようです。
最近では、スタンプラリー化が騒がれ、本来の目的である修行という意味が薄れつつありますが、原点に戻ることも必要でしょう。
なお、歩き遍路など体を使う場合には、健康増進にも役立つということで、88か所の札所が設定されたとも考えられます。