お遍路めぐりをする目的として、自分の願い事を叶えるというものがあります。
各札所に収めるお札に願い事を書いてお札入れに入れるのですが、功徳と言う意味もあります。
お遍路の札所は真言宗派で纏められていますが、この宗教の教えとして、人は死んだら仏様になるというものがあります。
ただ仏様になる場合、三途の川を渡り正しい道を進まねば天国へたどり着けないとされていますが、迷わず行ける為には功徳を積む必要があります。
そのためにお遍路めぐりで功徳を積み、積んだ証として自分がなくなった際には棺おけに白衣や納経帳を入れるわけです。
あの世に行くためのもう一つの方法として、煩悩を無くすことと言う考えがありますが、お遍路めぐりをすることで無くす事ができるのでしょうか?
お遍路と煩悩の関係について解説していきたいと思います。
煩悩とは
一般的に煩悩は、人間の持つ欲望の種類の数であると言われます。
食欲や物欲に代表されるように、人間には生まれ持って欲望があるとされ、それを持つことはいけないこととされます。
仏教の場合この煩悩の数は108あるとされ、年末年始に突く除夜の鐘が108回であることは、これが由来となっています。
ただ、仏教とはいえ宗派などの違いで煩悩の数に若干の違いはあるようです。
どの仏教でも煩悩は人間の苦しみの元になるものとして、無くしたほうが良いと教えられているものであり、共感できる部分があるでしょう。
時には自分の欲深さを思い知り後悔の念に刈られたり、自分自身を攻めたりということも起こります。
人間のみが持っている邪悪なものとされ、いかに人間が欲深く罪を犯すのか理解できる気がします。
お遍路で無くせるものなら、無くしたいですね。
因みにお坊さんがなぜ頭を剃るのかご存知でしょうか?
髪の毛は人間の煩悩の象徴とされたり、邪悪なものとか煩悩そのものと言われることがあります。
ゆえに仏教のお寺ではお坊さんは髪の毛を剃る事になっているそうです。
まあ、一部のお坊さんは髪の毛が長かったりしますが、そういう宗派なのかなと思っています。
なお本来はお遍路めぐりも、煩悩を無くすための修行の一環でしたので、頭を剃って回るのが正式な作法の様です。
とはいえお遍路さん皆が坊主頭では、このご時世やる人も少ないかもしれません。
札所の数は88箇所ですが
お遍路で巡る札所の数は88箇所です。
足りないと思うのは当然のことですが、これに弘法大師様ゆかりの地である20箇所を加えると、ちょうど108箇所になります。
このオプション20箇所のことを、別格霊場、と呼びますが時間に余裕があったら回ってみるべきでしょう。
ただ、この別格霊場を回っても納経帳にはご朱印や梵字を書くところがありません。
代わりに数珠の玉をいただくことが出来、これを集めて数珠にするといいとされています。
四国お遍路88箇所めぐりは全国的にも有名ですが、あまりに有名すぎるためか88箇所で終わりというイメージが定着しています。
あまりガイドブックでも取り上げられない場所ですので、他にも20か所ありトータルで108か所と覚えておくと良いでしょう。