お遍路めぐりをしている方の中で、砂踏みという言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
言葉だけを聞けば、砂を踏む行為と想像できますが、それとお遍路との関係は良くわからないでしょう。
賛否両論あるこの砂踏みですが、どのようなものか解説していきます。
砂踏みという行為
砂を踏む行為そのものですが、その砂に違いがあります。
88箇所の札所から集めた砂、その砂をお経を唱えながら踏んで回ることで、88箇所回ったと同じ功徳が得られるというものです。
そんな方法があるのなら、わざわざ何日間も掛けてお遍路めぐりをする必要ないじゃないか、というのもごもっともです。
と、健常者や自分の足で何とか歩ける方はそう思うことでしょう。
しかし、どうあがいてもそれが難しい人にとっては、回りたくとも出来ないことになります。
職業お遍路さんに頼んで代行でめぐってもらう、と言う手もありますが、お値段はかなり高めになります。
一度頼んで回ってもらった方に聞きましたが、数十万円は必要との事でした。
確かに、数週間回ると言うことを考えれば妥当な数字なのかもしれません。
逆に考えるとお金もそんなに用意できない人は、諦めるしかなくなってしまいます。
これを解消するために、88箇所めぐったと同等のご利益が得られるという意味で、砂踏みが始まったとされています。
いつも論ぜられること
ご利益や功徳としては同じ、と言われますが、やはり自分で苦労した分ご利益が大きいのでは?と思ってしまいます。
いつも論争になるポイントですが、バスツアーではご利益が少なく、歩きが一番大きいと言われることが多いでしょう。
確かに、体力を使い辛い思いをしながら札所を回ることにより、苦労をした分功徳となると言う考え方も理解できます。
しかし私は、ご利益や功徳に関しては違いは無いと思っています。
違う部分は、自分の体力を使ったのか、どれだけ辛い思いをしたのかという点ですが、違う意味で影響が出てきます。
それが自分自身が変わるという点です。
私自身、自転車と歩きのハイブリッド方式でお遍路めぐりをしましたが、殆どご利益や功徳は考えていませんでした。
壁にぶつかっていた時期で、このままでいいのだろうか、将来に不安を抱えながら生活していました。
お遍路めぐりをしているうちに、辛くて止めようとも思いましたが、一念発起し続けることで自分で何とか出来る自信が付きました。
以来自分の甘さが低減し変わった気がしましたし、運も向くようになりました。
このように自分が辛い思いをしながらお遍路めぐりをすることを、克服しているうちに自分の変化に気付くという部分だと思います。
バスツアーや車移動を否定するつもりはありませんが、やはり苦労した人だけが得られるものがあると思っています。
背負っているものや、ぶち当たっている壁によって移動方法を変えてみると変化が起こるでしょう。