お遍路めぐりにお礼参りという言葉があります。
よく神社などにお参りする、と言う行動を思い浮かべがちですがその意味ではありません。
お遍路めぐりは一般的に、始める札所であるお寺を決め、そこをスタートとし88箇所回ることになります。
この時、無事回ることが出来たお礼をするため、再度始めに訪れた札所をお参りする事を言います。
ただこの事はあまり知られていないのか、1番からスタートし88番まで回ったところで終了とする人が多いようです。
今回は、このお礼参りについて例を挙げながら説明していきます。
結願とお礼参りの違い
1番から88番を順番に回ったり、順不同でも88箇所回れば結願した、と言われ願いが叶うと言われています。
要は88箇所全ての札所を回れば良いわけですが、実は四国を一周していません。
お礼参りはこれにプラスして、最初のお寺を参拝することが必要となるわけです。
1番から順に回った場合は、88番大窪寺で終わりにせず1番霊山寺に行くわけですが、1番を2回訪れることになります。
このように結願とお礼参りは違いますので、お礼参りしたい方は88箇所回ったからと言って安堵して止めないように。
納経帳にもお礼参りのページが用意されている
納経帳には、回った札所の梵字などを書いてもらうことになりますが、88箇所の札所以外に3ページほどページが余ります。
2ページは高野山の金剛福寺と奥の院用ですが、もう1ページはお礼参り用となります。
私も88箇所めぐりが終盤になって気が付きましたが、当時お礼参りを知らなかったので不思議に思っていました。
判衣の場合はご朱印を押してもらうので、特にスペースが空いて気になるということはありませんが、正直しっくり来ない気がします。
後々モヤモヤする可能性もあるので、気になる方はお礼参りをし、ページを埋めたほうが良いでしょう。
お礼参りと高野山参りをするか
ということで、お礼参りはしなくても良いのですが、気になって眠れないという方はしておいたほうが良いでしょう。
残りの高野山用ですが、88箇所回るのとお礼参りをすれば達成感が得られます。
と同時に、後はいいや、とそこで終わりにしてしまうこともありえます。
高野山は四国ではなく、和歌山県ということもあり、海を渡るか陸路で大阪等を経由するなど正直大変です。
交通機関を使えば簡単に行けますが、歩きなどの場合は更に数日掛かることになるので気持ちが続くかどうか、と言ったところです。
実際に私も88箇所回りましたが、距離や費用的な問題もあり88箇所回って直ぐには行きませんでした。
大阪、和歌山の観光のついでにという感じでしたが、高野山は特別に感じました。
あの独特の町全体が神聖な霊場という雰囲気は、なかなか味わえるものではありませんので、足を運んでみることをおススメします。