四国お遍路は、今では観光名所巡りになっているという側面もあり、単なるスタンプラリー化している傾向にあります。
ただ、元をただせば、宗教巡礼でありお経を唱えることで功徳を積み、あの世に行けると信じられてきました。
と同時に、宗教ということから、先祖代々特定宗派で行ってこられた方にとっては、宗派が異なると言うことはシビアな問題でしょう。
世界に目を向ければ、信仰している宗教が違うという理由で、いさかいが起こり、戦争に発展するケースも目立ちます。
人によっては、とてもデリケートな部分ですので、お遍路における宗派の違いによる影響を解説していきます。
お遍路で巡るお寺の宗派
お遍路で巡るお寺は、真言宗派のお寺になりますが、厳密に言うと、お遍路協会に加盟しているお寺と言うことになります。
そのお寺が88箇所ある、ということで札所として認められているということです。
弘法大師様が真言宗を、当時の唐(現在の中国)で学び日本に伝えたことは、ご存知だと思いますが、四国を回りこの教えを広めたとされています。
その通った痕の名残として、四国お遍路のルートの原型が出来ているので、至極当然のことだと思います。
日本は仏教が主に信心している宗教として認知されていますが、宗派はたくさん存在します。
真言宗、天台宗、日蓮宗、曹洞宗の他にもたくさんあり、キリスト教やイスラム教などを信仰している方も。
前述した宗派が異なる場合、お遍路めぐりは出来ないのか?という疑問についてですが結論から言うと可能です。
ただ、唱えるお経などはお遍路の作法に則り、般若心経を中心としたものになりますが、そこは倣ったほうが良いと思います。
道場破りではありませんが、わざわざ違うお経を唱えてトラブルを引き起こす人もいないでしょう。
なお、宗派が影響しないことが具体的に分かる事例ですが、お遍路の札所になっていない周辺のお寺でも、無料宿の斡旋をしていたり、納経を歓迎するところもあります。
宗派は真言宗派で無い場合もあり、宗派を超えて頑張っている人を支援しようとする姿勢が伺えます。
宗派が違うからといって、邪険にされたり、叩かれたりしたら正直たまったものではありませんし、それこそ敵対心の源になってしまうでしょう。
逆のケースではどうか?
とはいえ全国に目を向けると、自分の宗派以外の人を排除する姿勢が基本になっている宗派もあります。
何度か目にすることがありましたが、宗派が違うと分かると、お寺の敷地にすら入れてもらえないという状況でした。
お葬式の際にも、違う宗派の教具などを持っていると外すように言われることもあります。
そこまでしなくても、と思いがちですが、世界で発生している紛争の元のような気がして、ちょっと嫌悪感を感じました。
この様な宗派のお寺に、祖国お遍路巡りをしに行きますと言っても、おそらく理解されないだろうと思います。
日本人は無宗派が多い国ですが、海外に行くと結構な頻度で、何教ですか?と聞かれることがあります。
でも、無宗派と答えると信仰心が無いと解釈され、怪訝そうな表情をされることもあり、この辺の感覚の違いは無宗派では分からないでしょう。
お遍路ついでに、他宗派のお寺に回るのもいいですが、調べてから門をくぐるようにしたほうが無難です。