お遍路で結願することとは?結願前と結願後の変化について

お遍路めぐりをするということで、一番の目的は願いを叶えてもらうことというものが多いと思います。

また、お遍路には霊場めぐりとの意味合いもあるので、いろんな場所に宿るパワーをもらうことも目的になるでしょう。

ただ、願いを叶える、パワーをいただくことについては、いくつかの札所を回れば気分的に満足するでしょうが、本来の意味とは異なります。

それが結願と言われるものですが、結願とは何であるか、結願するとどのような変化があるかについて解説していきます。

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結願とは

お遍路めぐりとは、今では観光の意味合いも多いのですが、元々は修行の一環として設定されたものです。

叶えたい願いを各札所で唱えたり、お札に書いて納めることにより、成就させると言うものでした。

巡るお寺が増えていくことにより、功徳を積むことになり、最終的に札所全てを回ることで願いが成就しますが、これを結願(けちがん)といい、願いが仏様に届き叶うとされています。

確かに、全ての札所を回るにも時間もお金も掛かるため、苦労することになりますが、その分達成感も得られるようになります。

結願後に願いが叶った、という実感を感じる方も多くいるようで、お遍路めぐりの醍醐味とも言えます。

移動方法によってご利益が違う?

時々論じられることですが、ツアーなど自分の体力を使わない場合と、車や歩き含め自分の体力を使ったのでは、比較するとご利益は後者のほうが大きい、ということです。

確かに自分の体力を使い、時として倒れそうになりながらも全ての札所を回り、結願した時の達成感はひとしおで、とても言葉には言い表せません。

でも、だからといってご利益に違いがあるか?というと別問題だと思っています。

仮に、足が不自由で長い距離を歩けない、大病を患って体力があまり無いなど、事情を抱えているがお遍路をして願いを叶えたいと思っていたらどうでしょう。

その方たちに、自分の体力を使って88箇所回れ、とはとても言えませんし、ご利益は無いから諦めろ、と言っているに等しいです。

1箇所でも回れれば、ツアーという力を借りれば何とか、という藁をもすがる思いの方もいらっしゃいます。

そう考えると、願いの強さでご利益があるかどうかを考えた方がいいでしょう。

結願前と後で起こる変化

さて、健常者の方が自分の体力を使ってお遍路めぐりをしたとします。

スポーツ選手のように体力が大いにある方でも、お遍路めぐりはキツイものですが、自信がある方は最初は皆こう思うようです。

大したことないだろう、と。

この感覚を持っている方は、よほどの自信家と言えますが、殆どの場合お遍路の途中で叩きのめされることになります。

体力面だけでなく、精神的な部分も試されるのがお遍路めぐりですので、いかに自分が未熟であるか、考えが甘いかがよく分かるようになります。

結願前にこのような考えを持っていると、結願後には自分の甘さに気付き改心することが出来るでしょう。

実は私がこのタイプでしたが、行く前は半分観光気分で居たので楽だろうと思っていました。

しかし、ものの2~3日で叩きのめされ、逃げるようにして帰ってくる羽目になり、いかに自分が甘かったかを知ることになります。

家に帰ってから、このままでは何も変わらないと一念発起し再度めぐることになり、無事結願することが出来ました。

不思議なことにお遍路めぐりも後半に差し掛かると、自分次第で叶うのでは?という感覚を感じ成就出来たのでそれが結願後に得られた変化になります。

同時に自分の甘さも認識することができ、意識も変わったためか物事を前向きに考えられるようになり、得られたものは大きかったようです。

結願前と後では、感じる変化も人それぞれですが、遊び半分でなければ得られるものは大きいでしょう。

場合によっては、自分の人生をも変える出来事になるに違いありません。

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