お遍路の文化はいつごろから?

四国お遍路めぐりの起源は、平安時代からとされています。

空海と呼ばれるお坊さんが、当時の天皇の命を受け、現在の中国である唐に派遣され、仏教を学んで帰ってきました。

最澄と呼ばれるお坊さんも同じような時期に派遣されていますが、歴史の授業で習ったことがある方も多いでしょう。

この空海は、後に弘法大師と呼ばれるようになり、いろんな功績が称えられていますが、現在のお遍路はその名残と言われています。

では、いつ頃からどのような変化があり、今のような形になったのでしょうか?

今回は歴史と文化の元になったものについて解説していきます。

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元々は巡礼ルートは無かった

弘法大師様は、真言宗という仏教を広めるために、全国各地を渡り歩きいろんなところで人々に協力してきました。

各地に弘法の〇〇、と言われる史跡を目にすることがありますが、その名残とされています。

さて、唐から帰ってきてから全国いろんなところを修行しに巡るようになりますが、四国も例外ではありません。

元々、現在の香川県善通寺市の生まれということで、四国を中心に巡っていたようですが、そのコースがお遍路ルートの元といわれています。

ただ、当時はナビも無い時代ですから、弘法大師様が毎回回っていたルートも確同じではなかったようです。

四国各地にお寺を築き、それを回っていたとされるため、おおよそこのルートではないかと推定されていたようです。

一説には当時起こった大災害の被害を治めたり、人々の安楽を願うのが目的で修行に出たと言われ、その際に辿ったルートが原型とも言われています。

いずれにせよ、弘法大師様が回ったことがきっかけとなり、弟子などによって広められたというのが正しいようです。

現代のお遍路は江戸時代に原型が出来た

弘法大師様が亡くなってから約1000年後の江戸時代初期には、世の中が戦国時代では無くなっており平成の時代となっていました。

人々の心にも生活にも余裕が見られるようになり、次第に文化として全国各地で旅行も行われるようになります。

四国88箇所めぐりも定着し始めますが、同時に現代のガイドブックのような書物も出版され、情報が広まるようになります。

現代でもガイドブックなどが発行されると、人気のスポットになったりするのと似ていますね。

因みに江戸時代にはこのようなガイドブックが、度々発行されるようになり、人々の関心も高くなっていきます。

四国辺路道指南、四国遍礼霊場記、四国遍礼絵図などにより段々とグレードアップされていき、人気が出るようになります。

この時期に、現在の歩きお遍路ルートがほぼ確立されたようで、暫くは変わらなかったらしいです。

ただ、現代のように舗装技術など道路を作る技術が出てきてからは、昔の歩きのルートは淘汰され、殆どは舗装路と言う状況になっています。

山道など舗装しにくいところにのみ、昔の文化としての面影を残す程度となっているようです。

今では江戸時代のルートを完全再現というわけには行きませんが、一部だけでも体験してみてはいかがでしょうか。

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