四国お遍路をする際に、どこからはじめるでしょうか?
大半の方は、1番札所である霊山寺から始めると思いますが、実はどこからでもいいのです。
と言う事は同時に、どこで終わりにするか、つまり最後のお寺をどこにするかも自由と言う事になります。
特段どこから始めてどこで終わりにするか、細かい規定もなく、きちんとお遍路めぐりをする気持ちがあれば問題ありません。
いろんな理由により、お遍路を終わりにする最後のお寺をどこにすべきか、目的別に解説して行きます。
交通アクセスで決める
標準的なモデルケースとして1番札所から始めれば、最後の寺は必然的に88番札所と言う事になります。
その際には、高徳線の讃岐白鳥駅か、琴電長尾線の長尾駅が一番近い駅と言う事になるでしょう。
それぞれ徳島市、高松市に近いと言う事で、近畿地方や岡山方面へのアクセスがしやすくなります。
四国へは、車やバスでアクセスする場合には、主に淡路島を経由する神戸淡路鳴門自動車道。
坂出から岡山へアクセスする瀬戸中央自動車道、および鉄道である瀬戸大橋線があります。
これらを利用すれば、88番を最後の寺にし、帰りはこのルートで帰ることが可能ですがもう一つのルートがあります。
愛媛県の今治市から広島県の尾道市を繋ぐ、西瀬戸自動車道を経由するルートです。
鹿児島や山口方面からでしたら、当然こちらから四国に入るのが楽ですし、わざわざ1番札所のある徳島県まで移動するのも面倒でしょう。
その場合には、今治市周辺の札所から始めて、最後の寺もその近辺にすると都合がよくなります。
例としては、54番延命寺から59番国分寺で始まりと終わりを設定するといいということになります。
最後の寺を88番にすることに拘らず、交通アクセスの都合で決める手もありです。
人それぞれの都合にて決める
現代人は忙しく、人それぞれの都合と言うものがあります。
いろんな都合に合わせて、臨機応変に最後の寺を決めるというのも今時でいいかと思っています。
区切り打ちをする場合
今の社会人は仕事が忙しく、なかなかまとまった休暇を取ることが出来ません。
特に、台風であったりインフルエンザであったりしても休ませてもらえない、社畜などと言われている現代の日本では難しいでしょう。
土日の休日も満足に与えられないブラック企業、などと言う会社も存在しており、四国お遍路に興味を持ったのはいいが実現できないと嘆く場合もあります。
そんな場合は、たとえ一日でも休暇が取れ、お遍路めぐりが出来るとなったら札所を一つでもいいので回ってみるといいと思います。
俗に思い立ったが吉日、ということわざがありますが、お遍路にも似たような言葉があり、弘法大師様のお導きと言われています。
たとえ一札所でも、お遍路をしようと思い立ち訪れたことに意味があるので、何か新しい発見がある事でしょう。
その際には、交通の便で決めるのもいいですが、兼ねてから行きたかった札所のみを回るのも趣があっていいと思います。
必要性で決める場合
時間的都合と言うものもありますが、人によっては気分で回ってみたいと思う方もいる筈です。
四国お遍路は宗教巡礼に相当しますが、88か所を全て回ると言うのは時間的都合もそうですが、続けるだけの精神力も必要になります。
でも、なかなかそこまでするだけの理由が無いと、続ける意味も見いだせないでしょう。
私事ですが、人生の壁にぶち当たっていた時に、ふと目に入ったお遍路の特集から興味を持ち、すべての札所を回ることを決めました。
辛いことは予想が付きましたが、クリアすると何かが変わる、そうでも思わないと全て回ろうとは考えないでしょう。
旅行ついでにと言う方もいらっしゃると思いますので、その旅行のみで終わりにするということもあり得ます。
それはそれでいいと思いますし、一度始めたのだから何が何でも最後までという強制力もありません。
強要するものでもなく、その人が何かに困っていたら、突破口を見つけたところで止めても構わないと思います。
必要な時に行えば自ずと続ける理由にもなりますし、途中でめげることも無くなるでしょう。