四国お遍路をする上で、何故この巡礼が始まったのか、ふと気になったことはありませんか?
実は、弘法大師様が当時起こった災難が治まるように、祈願して回った痕が原型だと言われています。
起源ともいえる道筋を立てたと言うことで、今に伝わるわけですが、弘法大師様はどのような人物だったのでしょうか?
お遍路と弘法大師様の関係や、その生い立ちを解説していきます。
弘法大師様とは
日本史の勉強を中学高校で行ったと思いますが、最澄と空海と呼ばれるお坊さんが、平安時代初めの天皇である桓武天皇の命により唐に派遣されました。
最澄は、現在の滋賀県生まれで天台宗を広めた方です。
京都にある比叡山延暦寺と言えば聞いたことがあるかと思いますが、最澄がこのお寺を建て修行の場としました。
一方、空海は現在の香川県善通寺市生まれで、唐で学んだ仏教、すなわち真言宗を広めるため活動をしました。
どちらも今に伝わる偉いお坊さんですが、最澄はお寺での修行を重視したのに対し、空海はお祈りを重視しており別名は密教とも呼ばれます。
空海は死後、朝廷から弘法大師という名前をいただき、今でもその名で呼ばれています。
なお敬意を表して、弘法大師様、大師様とも呼ばれますが、呼び捨ては失礼に聞こえるので様を付けた方が良いでしょう。
特に四国では、信仰心の深い方が多いので、あまり良い顔をしないかもしれません。
全国に逸話が残っている
全国各地に、弘法の〇〇など、弘法という名前が付いている場所や史跡が全国各地にあります。
廃れてしまい、跡地でしかない場所もありますが、時として石碑などが建ててあり、由来が書いてある場所もあります。
私の住んでいるところの近くにも、逸話が残っている場所がありますが、一例として紹介します。
弘法の井戸と呼ばれるところですが、いくら地面を掘っても固い岩盤があり水が出てこない、という状況に陥っていたそうです。
弘法大師様が持っていた杖(尺杖)で固い岩盤を叩いたところ、水が噴出し井戸が出来たと言われています。
人力でそのようなことが出来たのか、信憑性に欠けますが、そのような場所が各地に残っており、弘法大師様の偉業痕跡を示すものと言えます。
ただ、お寺で読経をして祈るよりも、全国各地に出向いて人助けをする行動派だったようですので、この功績を各地で称えたのがもっともらしい理由でしょう。
なお、四国巡礼同様に全国各地を回り、人助けをしたりしていたそうですので、偉大な方だったのでしょうね。
全国巡礼後は、高野山奥の院に入り、即身仏(ミイラ)として今でも修行をしていると考えられています。
真言宗には、人は生きたまま仏様になれるという教えがあるらしく、修行の一貫として行われていました。
と同時に今もお遍路めぐりをしているとされ、持って歩く金剛杖は弘法大師様の化身と言われていますので、粗雑に扱わないようにしましょう。