歩きお遍路をする際や、バスツアーなどに参加する際に杖を持っていくことになります。
観光登山などで杖を持つことはよくあり、富士山に登る際にも焼印が入った杖を買ったりもします。
お遍路で使う杖も同じようなもの、と考えがちですが、ちょっと意味合いは異なります。
確かに、昔の人にとって山は信仰の対象であり、霊峰と呼ばれる山もありその山に登ると言う事は、お遍路と同じように巡礼と捉えられることもありました。
しかし、最近では女性も登ることが可能になったりと、山を信仰の対象とはあまり考えなくなってきました。
杖も登る際の補助として使う目的のみになり、ストックなどに代わって来ています。
しかし、お遍路においては杖は異なる意味合いを持つため、きちんと扱わないとバチが当たることもあると考えられています。
ではなぜそのように考えられているか、解説して行くことにしましょう。
杖は弘法大師様の化身
お遍路で使う杖は、正式には金剛杖と呼ばれます。
弘法大師様は、高野山の奥の印にて今も修行をしていると考えられ、同時にお遍路めぐりをされているという考えが元になっています。
故に金剛杖は弘法大師様というこ考えになり、同行二人という言葉に繋がっています。
一人でお遍路めぐりをしていても、弘法大師様が一緒に回ってくださっていると言う考え方ですが、同時にしてはいけない決まり事もありますので、知っておくといいでしょう。
それぞれ意味がありますので、いくつか挙げておきます。
刃物を当てたり、地面を引きずらない
人の足と考えたらこのようなことはしないと思いますが、あくまで杖では無く弘法大師様であるという考えが必要です。
粗雑に扱うのも同様の理由からご法度となります。
宿に着いたら先を水で洗う
一般のホテルにはありませんが、お遍路宿と呼ばれる宿泊施設には、杖を置く場所があります。
そこに立て掛ける前に、玄関先に準備されている水で、杖の先、つまり足を洗うことが必要になります。
なお、玄関先に置いてくださいという宿泊施設もありますが、正しくは寝泊まりする部屋の床の間に立て掛けます。
昔は、一緒に納経帳も置き、お経を唱えてから休むことがデフォルトだったようですが、今ではそこまでする必要は無いでしょう。
足を向けて寝ない
弘法大師様という考え方から、足を向けて寝ないようにしましょう。
あくまで人と言う考えを持ち接するといいでしょう。
墓標と言う考え方
杖をよく見ると上から下まで梵字が書いてありますが、どこかで似たようなものを見かけたことは無いでしょうか?
よくお墓に掲げられている、卒塔婆がそれに相当しますが、金剛杖は墓標の代わりの意味を持つとされて来ました。
万が一、志半ばで倒れそのまま亡くなったとしても、墓標を持ち歩いているため問題ないと言う考えです。
因みに白衣、菅笠はそれぞれ死に装束と棺桶の蓋の相当しますので、いつ死んでも構わないという意識の表れが伺えます。
逆に言うと、それだけ昔のお遍路めぐりは死と隣り合わせの危険は修行であり、お遍路に出るイコール死を覚悟した行為であったと想像できます。
現代も、その名残として残っているわけですが、それだけの覚悟をする必要がある状況は想像しにくいでしょうね。
余程の山の中で獣に襲われる、心筋梗塞などの急な病気に見舞われる、落石や滑落でもない限り、現代では死ぬことはまず無いでしょう。
なお、今の時代では歩きでお遍路する人は、年間でも数百人程度とバスや車の数万人と比べても圧倒的に少ない状況です。
わざわざ危険を冒し、苦労を買ってでもしようとする人が少ない表れかもしれません。